見えないチカラ
「天の声がした」と言われる事がある。
小生は特定の宗派に信心しているわけでないとことわっておき話を続けてみる。
昨夜のこと仕事終わりに幼稚園からの旧知が営むバーに立ち寄り、話が盛り上がったせいもあって、数時間談笑。
気が付くとごぜんさま。
いそいそと自転車に乗り帰ろうとすると、自転車の鍵が無い。
あわてて引換し店内を探したが見つからず、自転車はあきらめて徒歩で帰宅する道程。
普段ならこの様な事があった場合、気持ちの持って行き場がないのだが、この日は明らかに違った。
実はここ一週間夜のウォーキングを自分勝手な理由をつけて休んでいたのである。
きっと「ウォーキングを再開したら?その為に足の馴らしをしたらどう?」
との天からのやささやきだと、自分に納得させていたのであろう。
帰宅すると携帯電話の電池が切れていることに気付きすぐに充電すると、旧知からの伝言メッセージが
鍵が椅子の凹から見つかったとのこと。
帰路の道順そのままに鍵を受け取りに徒歩で20分。
結局往復するとウォーキングと同じ距離となりました。
ウォーキングを休んでいたこと、携帯電話の電池が切れていて引き返せなかった
小さな偶然が重なった結果の出来事。
単なる偶然と解釈するか、天の声と受け取るか、個々と状況によって様々あると思うが、
昨夜の小生には天の声と思えた出来事であった。
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